(つづき)[読書メモ] 世界のビジネスエリートが身につける教養 ― 西洋美術史(木村泰司)

前回からのつづき

バロック(Baroque)

  • カトリック対プロテスタントが生み出した宗教美術。
  • ローマ教皇レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂の改修工事費用を捻出するために贖宥状(免罪符)(Indulgence)を販売。これに対して懐疑的になった世論を背景に、1517年ルターが宗教改革の狼煙を上げた。(プロテスタントの誕生)
  • これに対抗してカトリック教会はイエズス会を認許し、全世界へ布教伝道の徒を放った(来日したフランシスコ・ザビエルもその一人)。
  • カトリックは「わかりやすさ」と「高尚さ」を大衆に示すために、美術の力に頼るようになった。神の栄光とカトリック協会の勝利を視覚的に人々に訴え、カトリック信仰へ帰依させることを目的としてバロック美術が誕生した。
  • 代表作:カラヴァッジョ「聖フランチェスコの法悦」。宗教画でありながら官能的な雰囲気を漂わせ、聖なるものと俗なるものを混在させている。光と影の強烈なコントラストによる明暗法も特徴。
  • バロック建築:サン・ピエトロ大聖堂の巨大な天蓋、同大聖堂前のサン・ピエトロ広場の列柱廊

オランダ独立と市民階級の台頭

  • 17世紀にアムステルダムが貿易の中心地として繁栄し、ヨーロッパ一の国際貿易都市へと発展。財をなした市民階級が台頭し、世界中からの美術品が集まった。
  • 貴族的なライフスタイルをまねるようになった裕福な市民階級の邸宅を飾るために、大量の絵画が制作されるようになった。注文制作だけでなく、画商や定期市での販売・流通システムが確立した。
  • 絵画のジャンルのヒエラルキーが確立 ー 最上位の歴史画、その下に人物画(肖像画)、風俗画、風景画、一番下が静物画。
  • 格言や教訓を込めた「風俗画」が人気を博す。(フランス・ハルス「陽気な酒飲み」
  • 静物画の例:ウィレム・クラース・ヘダ「鍍金した酒杯のある静物」
  • 集団肖像画:フランス・ハルス「ハールレムの養老院の女性理事たち」

レンブラントとフェルメール

  • レンブラント:オランダ美術史上最大の巨匠。「光と影の魔術師」。代表作:「夜警
  • フェルメール:市民たちの日常生活を描いた風俗画。「節制」や「肉欲に対する戒め」といった決して内容的には上品ではないものも、上品な作風にしあげた。代表作:「紳士とワインを飲む女

美術大国となったフランス

  • 「太陽王」ルイ14世による絶対王政。政治だけでなく美術も中央集権化し、王立絵画彫刻アカデミーを設立する。画家、彫刻家の地位が向上(職人から芸術家へ)。
  • ニコラ・プッサンの確立した「フランス古典主義」。フランス美術の「規範」に。裕福な上流階級向けに知性と理性に訴える作品を描く。感覚に訴える色彩ではなく、理性と知性に訴えるフォルムと、秩序に基づいた安定した構図を重視。代表作:「アルカディアの牧人たち」「サビニの女たちの掠奪」「ソロモンの審判」

ロココ(Rococo)

  • ルイ14世の死去に伴い、重苦しい宮廷生活から解放された宮廷人により、繊細で華やかな「ロココ文化」が生まれた。
  • 理性に訴えるデッサンを重視する「プッサン派」に対して、自然に忠実な色彩の魅力を主張する「ルーベンス派」が台頭した。(「理性」対「感性」、「デッサン」対「色彩」)
  • ロココ絵画の三大巨匠 ― ヴァトー(代表作:「シテール島への巡礼」)、ブーシェ、フラゴナール(破廉恥な作風。代表作「ぶらんこ」)。
  • 明るく軽やかなパステル画が流行。(「ポンパドゥール侯爵夫人の肖像」)

ナポレオンのイメージ戦略 ― 新古典主義、ロマン主義

  • 「色彩」のロマン派と、「デッサン」の新古典派が争いつつ、いったりきたり。

産業革命と近代美術

  • ブルジョワジーと労働階級の出現。社会主義者の画家ギュスターヴ・クルーベ ― ロマン派とも新古典派とも距離を置いた「写実主義(レアリスム)」 ― 「私は天使を書くことはできない。なぜなら、私は天使を見たことがないからだ」
  • 代表作「石割人夫」と「オルナンの埋葬」で、これまで美しくないとタブー視されてきた庶民を、高貴な「歴史画」のサイズで描きスキャンダルを巻き起こす。

近代絵画の父マネ

  • 輪郭がはっきりしている大胆な筆使いや、平面的で単調な色面や激しい色彩の使い方が、「奇妙」として批難にさらされた。(ラファエロから続く「三次元性」からの逸脱)浮世絵からの影響も。
  • 「何を描くのか」よりも「どう描くのか」を探求する近代絵画の定義となるアプローチ。
  • ナポレオン3世の主催した「落選展」に「水浴(後に改題:草上の昼食)」を出展するも、ナポレオンや観客から激しく批難される。裸体を描くには「歴史画である」という言い訳が必要だった時代に、現実的すぎる裸体を描いたため。
  • さらに、「オランピア」では「現代のヴィーナス」として高級娼婦を描く。絵画が「高貴」であった時代に、「現実」をつきつけた。

イギリス美術

  • イギリス独自の文化として「肖像画」が発展した。王侯貴族、宮廷社会からの需要が高かった。
  • 経済の発展に伴い上層市民階級向けに「集団肖像画」も流行した。(ホーガス「ストロード家の人々」)
  • 肖像画における「グランド・マナー」 ― 描かれるモデルを神話画の主人公のように演出したり、さまざまなシンボリズムを駆使して擬人像として表現した。(「歴史画」の需要を作り出した。)
  • 産業革命と都市化にともない「田舎風景」の需要が高まる。(ミレー「落穂拾い」「晩鐘」)

印象派(Impressionists)

  • 美術アカデミーとサロンによる新古典主義の保護。その反動として後の印象派を生む。
  • 印象派 ― 描く対象の固有色ではなく、光や大気などによって影響された変化しやすい色彩を描こうとした。(対象に対してではなく、自分の視覚つまり自分が受けた印象に対して忠実であろうとした。)
  • 光り輝く自然の瞬時性を表現するために、絵の具を混ぜず、色彩分割(筆触分割)法を使い、絵の具をカンヴァス上にバラバラに並べた。
  • ドガ ― 浮世絵の影響を受ける。左右非対称の構図、極端なクローズアップ、幾何学的ではない遠近法、モチーフを画面の端で切り取る手法など。
  • モネ ― 葛飾北斎の「富嶽三十六景」に影響を受けたと見なされている。
  • ルノワール、シスレー、バジールらと「グループ展」を開催するも、1886年に終わる。
  • ポスト印象派(後期印象派):ゴッホ ― 印象派の影響を受けつつも自分の感情を造形的に表現した。ゼザンヌ、ゴーギャン。
  • 経済力をつけたアメリカ人が、(古典主義に先入観が薄いため)印象派を新しい美術として歓迎した。アメリカで人気を博したモネが、やがて母国でも大家あつかいされるように。ドガのバレイ絵画も人気に。

アメリカン・マネーと現代アート

  • ロックフェラーなどの財閥によって美術品が収集され、アメリカで数多い美術館に保管された。