私が投資活動を始めてから、だいたい15年が経ちます。
2004年頃に、邱永漢さんの書籍に刺激を受けて中国株から株式投資を始めました。
途中FXや日本株やその信用取引やEワラントや、果てには商品先物まで手を出してさんざん寄り道をしました。(そのほとんどで損を出しています。)
今では米国中心に中国やアジア諸国のディフェンシブ株の長期投資(のつもり)をやっています。そのおかげで何とか投資活動トータルで資産を増やすことができました。
しかしその間、他の投資家の方と議論をした経験がほとんどありません。
仕事や日常生活で出会う周囲の人は投資をやっているかどうかはわかりません。もしやっていない人に対して投資の話を振っても、ろくな結果にはならないことがわかっているので、基本的にこちらから投資話を持ちかけることはありません。
証券会社などが主催する無料セミナーにも何度か参加したことがありますが、基本的に「講師対受講者」の1:Nの関係であって、受講者どうしで会話することはありません。
ファイナンシャルアカデミーさんのような「投資の学校」もありますが、原則はウェブでの受講で、教室に集まっての講義はオプションのような位置づけみたいです。それに、東京、大阪でしか受講できないようですし。
ネットの上で、見知らぬ投資家の方と議論することもできるでしょう。
しかし、実際にはちょっとやめておこうかな、と思ってしまいます。
その理由は、一つに自分の知識がしょせん素人の趣味レベルであって、本格的な投資家の方の議論についていけなさそうということ。
そして、もう一つに、議論して自分の意見を主張したり、他の方の主張を聞いたりすることによって、その後のポジションや売買に、意図せぬバイアスがかかってしまうこと。
感情的には前者、理性的には後者の理由でためらってしまいます。
「インベスターZ」という投資漫画でも、最初の方の巻で「投資家は議論すべからず」という言葉が出てきます。その理由は、上の後者と同じです。
例えば、自分があるときによいと思った「わんこ」(仮称)という銘柄があったとして、それをいろんな人に「いい銘柄だ」と触れ回ったとしましょう。
しかしその後、さらに情報収集したり勉強をしていくなかで、「どうもこの銘柄よくないかも?」と思っても、自分が勧めた手前、なかなか売れないかもしれません。
黙って売っても誰にもわからないでしょうが、その後その銘柄のフォローをしなくなれば、「あれ?『わんこ 』 持ってたんじゃなかったっけ?」と聞かれて、それを売った言い訳もしなくてはならなくなります。そんな言い訳をするのが嫌で、売りたいものを持ち続けてしまうかもしれません。
さらには、他の方から「えっ、『わんこ』なんか持っているの?ぷっ。持つなら『にゃんこ』でしょう」なんて上から目線で言われてしまうと、その後「にゃんこ」に切り替えるべきと思うようになっても、自分のプライドがそれをさせてくれなくなるかもしれません。
「プライドバイアス」って呼んだらいいのでしょうか?(いや、たぶんちゃんとした用語があるのでしょうけれど。)
結局、投資活動って、孤独な、いや孤独であるべき営みなのでしょう。
それでも、今まさにこうしているように、だれが読んでくれているかもわからないこのブログを、まるでまだ見ぬ地球外知的生命に向けて電波を発信するように書いていくのも、それはそれで自分の考えを整理できます。一人でもんもんと考えているよりは。
というわけで、自分が飽きるまでは、まだまだ続けていきたいと思います。