ファイナンスについてちょっとしっかり勉強してみた

下げ続けている中国株に続いて、米国株も下げ傾向に転じた可能性が高いですね。

例によってどこまで下げるかは誰にもわかりませんから、自分で買いたい買値を決めて、日々株価を眺めていきたいと思います。

さて、今日は「ファイナンス」の話です。

ちょっとしたきっかけがあって、ファイナンスの本をじっくりと読んでみました。

まず、「ファイナンスって何?」ってことについて、自分なりの簡単な解釈を書いてみます。

アカウンティング(会計)がPL/BS/CFによって、企業の姿を数字で表現することであるのに対して、ファイナンスとは、その数字を使って何らかの「判断」をくだすことだといえます。

経営者ならば経営戦略上の判断のため、投資家ならば投資上の判断のため、ファイナンスの考え方を活用できます。

10数年株式投資をやってきて、決算表の読み方とか、企業の評価を自己流でやってきて、何となくわかったつもりになっていたのですが、改めてちゃんと勉強してみると、いろいろ知らなかったことや、気づかなかったこと、あるいはその他参考になったことがありました。

せっかくなので、まとめてみました。

知らなかったこと、気づいたこと

資本コスト(WACC)の求め方とその意味

負債には利息がかかりますが、株式にはかかりません。

しかし、ならば株式のコストはゼロかというとそうではなく、むしろ債権者より大きなリスクを負っている株主に対して、より多いリターンをもたらす必要があります。

つまり、負債より資本の方がコストが高いわけです。

負債コストと資本コストをその比率に応じて加重平均したものがWACCです。経営者は、このWACCを補う以上のリターンをもたらすことが期待されています。この値は、当然業種などによって異なりますが、だいたい7~8%のようです。

負債の節税効果

これは「目からうろこ」でした。

負債ゼロで自己資本だけで事業する方が、財務上安全性が高くてよいという考え方があります。

しかし、負債はそのコスト(利息)が利益から差し引かれ、その分税金がやすくなるというメリットがあります。当然そのメリットは株主が享受します。これが「負債の節税効果」です。

企業が事業拡大などのために大きな借金をすると株価が大きく下げることがありますが、必ずしもその借金が株主にとって不利とは限らないと言うことです。(もっとも財務上の安全性を脅かすような巨額の買収はダメですが。)

配当、自社株買い、内部留保は株主にとっては同価値

一般に増配すれば株価が上がり、減配すれば株価が下がります。

しかし、増配、減配は株主の利益には影響しないというのです。そのわけは、利益の使い道として、配当も自社株買いも内部留保も、利益の所有権が株主にあることを変えるものではないからです。

では、株主に利益をもたらすためにはどうすればよいか?その答えは以下の2つ。

1) 内部留保を使って投資額以上に価値のある新規事業を始める。

2) 借り入れした現金で配当もしくは自社株買いをする(先にあげた負債の節税効果)。

その他参考になったこと

  • 日本でROEが注目され始めたのは、ほんの20年前の1997年頃。金融危機や山一証券の破綻がきっかけ。
  • ある銘柄のβ(ベータ)は、その企業の業績がどれだけ景気に敏感かと言うことだけではなく、固定費の比率(営業レバレッジ)や借入金の比率(財務レバレッジ)にも左右される。理由は、固定費の比率が大きいほど、売り上げの低下にともなう利益の変動が大きい、あるいは、リスクをとらない債権者の割合が多いほどリスクに際しての株主の負担が大きくなるからである。
  • 多角化は株主にとってはメリットがない。新しく始める事業が魅力的なら、慣れていない企業がやるよりも、すでにやっている企業の方が得意だから。株主は後者の株に乗り換えるだけでよい。
  • 食品事業は買収しやすい条件がそろっている:

– 需要が安定している。
– ローテクである。
– 強固なブランドがある。(事業価値の源泉)
– (比較的)無借金経営である。

これに対して、事業価値の源泉が開発能力やノウハウにある場合には、買収後に人がやめてしまえばその価値がなくなってしまうので、買収には向いていない。(ソフトウェア事業など)

  • M&Aは買収企業(の株主)よりもむしろ被買収企業(の株主)にメリットがある。なぜならば、事業価値に対するプレミアムをつけた額で買収されるから。
  • 米国でコーポレートガバナンスが注目された理由の一つに、年金ファンドなどの機関投資家の巨大化があげられる。規模が小さなうちは、気に入らない事業があればその株を売り払えばよいが、規模が大きすぎると身動きがとれない。そのため、気に入らない事業に対して、保有したままあれこれ口を出さざるを得なくなったことが背景。