今回は雑談です。
アドラー心理学について、若者と哲学者の対話形式でわかりやすく説明している「嫌われる勇気」という本を読み返しました。
アドラーの主張を参考にして、リタイアがそろそろ視界に入ってきたサラリーマン、そして個人投資家としての幸福の追求について考えてみました。
ポイントは、以下の3点だと思っています。
- 会社からは遅かれ早かれ、追い出されること。
- 仮に不労所得で十分な収入があり、働かなくても生活できる状態であっても、毎日やることがないというのは非常に辛いということ。
- 他人に対する優越感や他人からの承認にもとづいた「幸せ」は、脆く長続きしない。本当の幸福は、他人と競争するのではなく、自分が共同体の中の一人であることを認識して、共同体の仲間に対して「貢献している」と感じられることにある。(アドラーの主張)
1.会社からはいずれ追い出される
多くの企業では定年は60歳で、その先再雇用などで残れても65歳までくらいだと思います。そのうち法令によって70歳くらいまで延長されるかも知れませんが、現時点ではまだどうなるかわかりません。
自分が若かった頃を思い出してみれば分かることですが、正直なところ、20歳も30歳も年上の人とは、一緒に仕事をするのはしんどいですね。若い人に対して偉そうにする人はもちろんですけど、低姿勢な人でも仕事が遅かったり、飲み込みが遅かったり、変なこだわりを持っていたり。
特に、大量に採用された「バブル入社組」と呼ばれる世代の人は、なんだかんだいって未だ年功序列の給与体系が残っている会社では、全員を60歳まで処遇するのは、経営的に厳しいでしょう。色々な手段を使って、「追い出し」にかかるでしょう。
自分がいざ追い出される立場になってみるとたまったものではありませんが、ひるがえって株主の立場なら、割高な雇用はとっとと切って欲しいと思うはずです。
仮に80歳まで生きるとして、少なくとも10数年は、お金の面でも、「毎日やること」の面でも、他人をあてにできなくなる可能性が高いでしょう。
2.何もすることがないのは本当に辛い
いろいろな「困った老人」の事例が挙げられていますが、共通するのは、「リタイアして、その後毎日何もすることがないというのは本当に辛い」ということです。そして、その辛さを紛らわすために、様々な問題行動に走るわけです。
リタイア後にお金に困らないようにするために、知恵を絞って投資を行い、資産形成しているわけです。
しかし、お金に困らなくても、「毎日やること」に困るのでは、幸福な生活からは程遠いものとなります。
3.「貢献している」という感覚を持つ
アドラーの主張する「幸せになるための条件」をざっくりまとめると以下の通りです。
- 他人から認められようとしたり、あるいは他人からどう見られているか気にしたりしない。ありのままの自分を受け入れる。(自己受容)
- 他者を敵やライバルと思うのではなく、同じ共同体の一員、「仲間」と考える。(他者信頼)
- その共同体に対して、「自分が貢献したいと思う形で」貢献する。(他者貢献)
最後の他者貢献の「自分が貢献したいと思う形で」というところが非常に重要です。
他人からの「役に立った」とか「面白かった」などのフィードバックを期待するのではなく、仮にそれが得られなくとも、自分の信念に従って世の中に貢献することが幸福につながるというのがアドラーの主張です。
極端な例を挙げれば、自分が生きている時代にはきっと認められないだろうけれど、自分が死んだ後の子孫のために役にたつと信じることを、皆にけなされたり、バカにされたりしながらも、一生懸命取り組む、みたいなことです。
* * *
例によってダラダラ書いてしまいましたが、言いたいことが皆様に少しでも伝われば 嬉しい限りです。
幸いにも資産形成に成功して、お金のために働かなくても良い生活を手に入れた後、毎日何をして過ごすか。
「共同体の一員」として、その共同体に対して「貢献していると自分が思えること」を毎日やる。
「やりたくないこと」を無理にする必要はありません。自分が素直にやりたいと思うことをやればいいと思います。
別に、社会的起業とか、ボランティアとか、そういった決まり決まったやり方だけとは限らないと思います。
いくつか例を挙げてみます。
- 趣味の仲間を作って、その仲間と一緒に楽しい時間を過ごせるように、イベントを企画したり、情報発信をしたりとか。
- 近所の飲食店を色々と回って、店の人や常連の人と仲良くなって、楽しい時間を過ごすとか。
- 人付き合いが嫌いな人であれば、ネットゲームの世界で見知らぬ人と楽しい時間を過ごすとか。
あるいは、こうやってブログを書くのも貢献の一つと言えるかも知れません。
アクセス数を稼ごうとか、有名になろうとか、そういう「競争」は気にせずに、自分が思うままに「一人でもこの記事を面白いとか、役に立ったとか思ってくれればよい」という気持ちで、毎日いろんなことを調べて、考えて、そして情報発信をしていく。
そんな毎日を過ごすのも、「幸せな生活」を手に入れるための一つの道かも知れません。
「お金のために働かなくてもよい」というゴールにはまだまだ遠いですし、生きているうちにたどり着けないかも知れません。
しかし、今のうちから、自らの幸福のために人生の時間を使って何をするのか、既成概念や常識にとらわれず、幅広く考えていきたいと思っています。
よかったら押してください。(と書くのも、アドラー的にはダメなのでしょうけど・・・)
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